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Class 14

南川 政恵

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HRパートナーオフィスM 代表

南川 政恵

Masae Minamikawa

1985年ー
城大学 文芸学部英文学科卒

2014年4月ー2015年12月

日立製作所グローバル人事統括本部 担当部長

2016年1月ー2017年4月

日立化成(現・昭和電工マテリアルズ)グループ会社室 担当部長

2017年8月ー
HRパートナーオフィスMを開業

キャリア・人事コンサルタント業務をスタート

メンターからのメッセージ

どんなことをしている人?

女性や外国人、旧来の働き方と抗い、折り合い、働く人の応援団長

秘書・広報(均等法2期生)→専業主婦→子連れ離婚→5年ブランクからの人事職→外資系企業→日本企業 人事部長→早期退職・独立開業→カウンセラー・講師。

25年に亘り人事業務全般を経験。日立グループにおいて、人事制度の世界共通化推進プロジェクト・リーダー、グローバル人事の先鋒を経験した後、フリーランスとして開業。大企業・ベンチャー企業、また、外資系企業・国内企業グループ、あらゆる規模、業種に在籍した経験から多様な社内文化・価値観に接しており、就職希望者のあらゆる悩み・不安に対応している。

人生での一番の「失敗談」とは?

深く考えず就職、適齢期だから結婚、やっぱり離婚、プロジェクト炎上、数知れず

20代前半まで、あまり深く考えてきませんでした。世の中甘くみてました。30歳で子供が生まれてから離婚して、初めて自分の腕で社会に貢献してお金を稼いで息子を食わせなきゃ、とお尻に火がつきました。

自己都合、会社都合、合わせて7回転職しています。ライフイベントに合わせてキャリアチェンジした、とは、後付けかもしれません。

でも、やったこと・経験したことは、何一つ無駄ではありませんでした。転職の当事者、さまざまな規模・業態・カルチャーの会社で働いた経験はコンサルタントとして生かされています。

受講者へのメッセージ

恥の数だけ、優しく、強くなれました

職場の「女の子」と呼ばれ紺の制服を着て男性社員の湯呑を洗っていたOLが、育児中は公園のお砂場に出勤し、バツイチ・シングルマザーに。キャリアのアップもダウンも味わいながら、ラインの部長で会社勤めをフィニッシュ、令和の世ではフリーランスで働いている私。泣きました、笑いました、晴れやかな舞台もあったけど、打ちのめされた経験の方が数知れず。恥の多い職業人生だったけど、捨てたもんじゃなかった。だから、あなたもためらわずに!

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